読書会の学習内容と感想

シルバーバーチの霊訓

❏ 読書会の学習内容と感想

6月の学習内容 

スピリチュアリズムの思想体系1の「人生観」


6月と7月の2回に分けて、スピリチュアリズムの思想体系1の「人生観」を学習します。
学習内容は、以下の4項目です。
(1) 多くの人の人生の実態・・・・・6月
(2) 熱心な宗教者の人生観・・・・・6月
(3) スピリチュアリズム初期の人生観(ビデオ学習のあとポイントを確認)・・・・・6月
(4) シルバーバーチの人生観・・・・7月
今年から読書会では、学んだ霊的知識を日常生活で応用する、真理の実践を重視した学習をしています。



<スピリチュアリズムの登場によって大きく変わった人生観>

これまで思想家や哲学者、宗教者がさまざまな「人生観」を説いてきましたが、その見解は地上的な視点を超えることはできませんでした。1848年にスピリチュアリズムが地上に登場し、科学者によって“心霊現象”が研究、検証された結果“霊魂説”が事実であることが証明されました。霊魂説によって、人間は肉体の死後も霊魂として死後の世界(霊界)で生き続けることが明らかになりました。スピリチュアリズムによって、人類は物質世界だけの狭い視野から抜け出し、死後の世界を踏まえた本当の人生観を知ることができるようになったのです。霊魂説によって、霊界にいる霊たちが地上に働きかけ、通信を送ることができることも証明されました。スピリチュアリズム初期の人生観とは「霊魂説に基づく人生観」です。それは『シルバーバーチの霊訓』が登場する以前の「人生観」です。

<霊魂説に基づく人生観のポイント>

① 人生は、死によって終わるのではない、死後も人生は続いていく
② モノやお金、地位や名声は、死とともにすべて消滅する
③ 物質的な利益の追求だけに人生を費やす人は、霊界では幸福になれない

スピリチュアリズムを知らない多くの人は、「死とともに人生は終わる・死後の世界はない」と考えています。そのため「限りある人生をできるだけ好きなことをして過ごしたい」「社会的な地位や名声を得たい」と思い、地上的・物質的な喜びや、満足を追求する人生を送るようになります。しかし現実は、死後の世界(霊界)が存在し、死の向こうにも人生は続いているのです。「死によって存在がなくなった」と思っている人たちはみな、霊魂として死後の世界で生き続けています。地上という物質世界では、モノやお金に価値があり(物質的価値観)、モノやお金があれば幸せになれる(物質的幸福観)という考え方が当たり前になっています。しかし、霊界に入ると物質的価値観、物質的幸福感は一切通用しません。モノやお金、地位や名声は、死とともにすべて消滅してしまうのです。世界中に名前が知れた有名人も霊界に行くと、地上時代の肩書は意味のないものになってしまいます。つまり物質的な利益の追求だけに人生を費やす人は、霊界では幸福になれないのです。

人間は、とかく金持ちを羨ましがりますが、その人たちの多くを待ち受けている運命をご存じありません。財産を自分のことだけに使う人は、利己主義者であり、そういう人の将来には、恐ろしい逆境が待ち受けております。羨ましがらずに、憐れんであげるべきです。

アラン・カルデック 霊の書 P321

霊界で幸せになるためには、霊的な富(霊的成長)を貯えていなければなりません。霊界に持っていけるものは、地上で自分の努力によって手にした霊的富(霊的成長)だけなのです。物質的な利益の追求だけに人生を費やした人は、霊界で自分が霊的富を何も持っていないことに気付き、「もう一度地上人生をやり直したい」と思うようになります。一方、地上時代、物質的な富に恵まれなくても、人々への奉仕に人生を捧げ霊的富を貯えてきた人は、霊界で幸せな人生を送るようになります。霊的富こそ喜びに満ち溢れた人生をもたらす最高の宝ですお金儲けより霊的成長を優先し、地位や名声を求めるより人々への奉仕を優先する生き方、それがスピリチュアリストとしてのあり方であり、地上人として最も賢明な生き方なのです。

<真理を日常生活で実践する>

スピリチュアリストは人生は死によって終わるのではない、死後も人生は続いていくことを、周りの人たちにはっきりと言えなければなりません。相手から馬鹿にされるようなことがあっても、確信を持って霊的事実を伝えていくのです。

シルバーバーチの言葉
霊的知識を広めることです。ときには拒否され、ときには嘲笑され、軽蔑され、愚弄されることもあることでしょう。しかし、気になさってはいけません。そんなことで傷つけられてはなりません。用意のできていない者は当然受け入れることはできません。でも、それであなたは、あなたの為すべきことをなさったのです。しかし、一方には、それが干天の慈雨である人もいます。そういう人こそ大切なのです。その人たちのお役に立てば、それだけで、少なくともあなたの人生は存在価値をもつことになります。

『 福 音 』P60/後5~P61/3

モノやお金、地位や名声は、死とともにすべて消滅する。スピリチュアリズムに出会ってもお金に固執し地位や名声を求めている人は、真理が全く分かっていない、実践していないということです。私たちは真理にそって考え、真理が示す生き方に自分をそわせていかなければなりません。モノやお金は、人間が肉体を携えて地上で生活していくために必要です。大切なことは、「モノやお金は生活できるだけあればそれでよし」とし、清らかでつましい生活をしていくということです。モノやお金を必要以上に求めるなら、物欲が加速し、たちまち肉主霊従に陥ってしまいます。そして自分で自分に言い訳をしながら、魂はどんどん堕落していきます。余分なお金があるなら、それは人助けのために使うべきなのです。常に「人のため」という思いで心を満たして行動していく、それが真理を日常で実践していくということです。霊的真理を日常生活で活用し、共に霊的成長の道を歩んでいきましょう。
霊魂説に基づく人生観は、地上で生きるうえでの基本であり重要な真理です。それはそのままスピリチュアリズムの霊性教育になります。「人間は死によって終わるのではない、死後もあの世で生きていく」「たくさんのお金を手にしても、死とともにすべてなくなってしまう」ことを、子供たちに真っ先に教えなければなりません。物質中心主義の社会の中で育つ子供たちは、学校、地域での生活やテレビの情報などから、多くの大人たちがお金やモノを手に入れることに夢中になっている姿を見ています。そうした中にあって親が「モノやお金は生活に困らないだけあれば十分、それ以上は必要ない」ことを日常生活の中で示していってほしいのです。親が常に贅沢を慎み、質素な生活を心がけるなら、子供は自然にそれを身に付けるようになります。そして「人のために奉仕すること、困っている人を助けてあげること」が最も価値あることだということを、イキイキと語ってあげてください。「モノやお金は死とともにすべてなくなるけれど、人のために役に立ちたいと思って行ったことは心の宝となること」「心の宝だけが唯一、死後の世界へ持っていくことができること」を、繰り返し話してあげてください。次の世代を担う子供たちに、本当の人生観を伝えていってほしいのです。それが、スピリチュアリズムの霊性教育です。
霊魂観に基づく人生観は霊的人生の大原則です。霊的真理を知りながら、この世の人と同じように「モノやお金、地位や名声」を求めたスピリチュアリストは死後、その映像を目の前に突き付けられます。そして真理を知ったことに対する責任を問われることになります。それがスピリチュアリストに対する幽界での審判です。真理を知っていながら、真理に反する生き方をした人は、死後大きな後悔をすることになるのです。一生懸命、真理にそう努力をしてもできなかったことは、問われるようなことはありません。誠実に実践の努力をしていくなら、心配はいらないのです。モノやお金に翻弄されることなく、自分を忘れてひたすら人のために尽くしていきましょう。「無償の奉仕」の中にこそ、真の喜びと幸せがあることを、私たちの生き方を通して人々に伝えていきましょう。 >

❒  読書会の感想

スピリチュアリズムの初期に“霊魂説”が登場し、人生はこの世だけではないということを人は知ることとなりました。それによって人類はそこから霊的なものに価値を見出し、生き方を変えるきっかけになったと思います。霊的価値に基づき、死後に続く本当の生活に備えるために“ 霊的富”を蓄えられるよう自身も努力し、また他者にも霊的真理を広める一層の働きかけをしなければと思います。

本日の学習において一番心に残ったのは「学んだ真理を人生の先輩として子供たちに伝える」ということでした。『シルバーバーチの霊訓』が降ろされる前の霊的人生観は、基本的にとても大切な内容です。死後も生き続けている霊魂が霊界に存在し、地上人に働きかけることができる。この内容によって「自分の人生のテーマは何か?」と考えさせられます。人のためになることをし「ありがとう」と言ってもらったり、「ありがとう」と、小さなことに感謝する心のやり取りを、自分の周りからどんどん広げていきたいと思います。今、災害やコロナのような避けられない事態の中で、地域や隣人のレベルで助け合いや心遣いの話題がよくニュースになっています。また、企業レベルの援助活動も聞かれます。社会全体の価値観が少しずつではありますが、儲け主義だけではなくなってきていて、人を助けることができる体質を持った企業でないと生き残れなくなってきた時代に入ってきているのを感じています。

得てするとスピリチュアリズムを知った人間でも、この世の物質的、地上的な考えに知らず知らずに染まってしまう。そしてふとしたきっかけで、また霊的真理に目覚める時がある。正直、この繰り返しの日々である。常に霊的真理にそった生き方を通すことは、大変難しいことである。それが日々の行動のみならず、想念、思念など心に思った事までとなると、さらに大変である。しかしこの世に生を受け、人生も終わりころの年を迎え、たとえ一歩でも霊的成長をするため、そして利他的行為を少しでも行えるよう努力していきたいと思いました。

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