学習内容
摂理(法則)としての神と究極の理想としての神 について
スピリチュアリズム普及会から発売されたビデオの「神観」の中から、摂理(法則)としての神と究極の理想としての神 について学習し、ポイントを確認しました。ここでは「摂理としての神」について取り上げます。「摂理としての神」という概念は、これまで地上にはまったくなかったものです。2000年前、イエスはそれまでの「恐れ裁き(さばき)の神」から、「愛なる神」という画期的な神観を説き、それはこれまで地上人類の神観の基本となってきました。そしてイエスは今「愛なる神」をさらに深め、「摂理としての神」を明らかにしました。「摂理としての神」は、地上人類にとって革命的といえる神観であり、これまでの地上人の信仰を根底から覆すものです。
(1) 摂理(法則)としての神
神は霊界と宇宙と、そこに存在する全生命体・全存在物を創造しましたが、それに先立って摂理を設けました。摂理を通して霊界・宇宙・万物を支配し、維持しようとしたのです。摂理によってすべての営みがなされています。神は摂理を通して万物を支配しているため、すべてを完全に認知し把握しています。神の摂理による支配は厳格であり、摂理の支配から逃れられるものは一つもありません。摂理は機械的な正確さで働くため、例外や特別な計らいは一切ありません。万物が摂理によって支配されているということは、人間も摂理によって支配されている、ということです。
従来の宗教は、神と人間は直接的な関係にあると説いてきました。人間が神に祈れば、神が直接願い事を聞いてくれ、奇跡を起こして助けてくれると信じてきました。地上人の大半が苦しみや困難に遭遇すると「一時も早く、この苦難を取り除いてください」と、必死に祈ってきました。
それに対してシルバーバーチは、神と人間は摂理を介した間接的な関係にあることを明らかにしました。神は摂理を介して一人一人の人間と関係を持っています。それは、従来の宗教を否定する、衝撃的な霊的事実です。神が摂理を無視して、直接人間に働きかけるようなことはありません。神が、摂理から外れた人間の勝手な願いに応じるようなことは絶対にないのです。神が造られた摂理は一点の妥協もなく、機械的な厳格さですべてを支配しています。そのため神は、人間を完全平等・完全公平に扱っているのです。熱心に祈る人だけを特別扱いしたり、特定の人だけに不幸を与えたりするようなことはありません。すべての人間が、神が造った摂理のもとにあり、例外は一切ないのです。
シルバーバーチの言葉
大霊による直接の関与などというものは絶対にありません。
霊的新時代の到来』 P46/10
シルバーバーチの言葉
摂理に調和しさえすれば、必ずや良い結果が得られます。もしも良い結果が得られないとすれば、それは摂理と調和していないことを証明しているにすぎません。
『霊的新時代の到来』 P64/ 8~10
シルバーバーチは「摂理としての神」について繰り返し語り、その重要性を訴えています。なぜなら、従来のすべての宗教に「摂理としての神」という、最も重要な神観が欠けていたからです。
神による支配と聞くと、神は一方的に人間を支配する冷たい存在であるかのように思うかもしれませんが、そうではありません。神は愛から摂理を造りました。霊の親である神は、子供である人間の幸せを願って摂理を設けたのです。機械的に働く摂理の背後には、人間の幸せを願う神の愛がある、暖かい神の慈悲が存在しているということです。人間は神が造った「摂理」にそって生きていくことで、幸せになることができるのです。
シルバーバーチの言葉
大霊(神)より高いもの、大霊より偉大なもの、大霊より強大なものは存在しません。宇宙は、誤ることのない叡智と慈悲深い目的をもった法則によって統括されています。その証拠に、あらゆる生命が暗黒から光明へ、低きものから高きものへ、不完全から完全へ向けて進化していることは、間違いない事実です。
このことは、慈悲の要素が摂理の中に配剤されていることを意味します。ただ、その慈悲性に富む摂理にも機械性があることを忘れてはなりません。いかなる力をもってしても、因果律の働きに干渉することはできないという意味での機械性です。
『地上人類への最高の福音』 P164/7~後3
これまで人類は、神と人間は直接的な関係にあると考えてきたため、神にすがって救ってもらうことが信仰だと思ってきました。しかし、願い事信仰、お参り信仰は間違っています。神と人間は摂理を介した間接的な関係にあります。正しい信仰とは、神が人間の幸せのために作ってくれた摂理を信じて、それに自分を一致させていくことです。神が設けた摂理に自分を合せていく努力が正しい信仰であり、それがスピリチュアリズムの信仰なのです。
シルバーバーチの言葉
霊的知識から生まれた完璧な信仰を持たなければなりません。皆さんは霊力の証を
手にしておられます。万事うまくいくという信念、大霊の摂理と調和して生きれば
それ相当の実りを手にすることができるとの信念を持たなければなりません。
『シルバーバーチの教え(上)』 P96/ 6~8
「摂理としての神」は、シルバーバーチによって人類史上初めて明らかにされた神観です。シルバーバーチが説いた「摂理としての神」は、これまでの信仰のあり方を根本から変えていく画期的な神観です。
先月は、①創造主としての神 ②大霊としての神 ③愛の始原としての神(愛なる神)について学びました。正しい神の姿は、④摂理(法則)としての神 ⑤究極の理想としての神の5つの定義を合わせて1つにした存在、ということです。肉体を持って地上に生きている私たちは、これらの定義を頭で理解し、1つ1つバラバラに考えています。しかし霊界では、この5つを同時に満たす神の姿を実感し、大きな喜びと感動に包まれることになります。 地上の宗教の中でも、①から③を部分的に説いたものはありました。決定的なことは、地上のすべての宗教が「摂理としての神」と、「究極の理想としての神」の定義を全く知らなかったということです。21世紀に入った今、シルバーバーチが明らかにした「真実の神観」によって人類は初めて、正しい神の姿、人間の根源である親なる神の姿を知ることになりました。人類は本当の信仰のスタートラインに立ったのです。シルバーバーチを通して明らかにされた神観は、「神の真実の姿を知ってほしい」「神と人間の深い絆を知って、霊的成長の道を歩んでほしい」という、イエスの願い、イエスの深い愛から出たのです。イエスの願い通り、神の摂理を正しく知り、神が人間に与えようとしている霊的成長の道を共に歩んでいきましょう!
摂理としての神、究極理想としての神について本日学びました。シルバーバーチの霊訓が広まり、イエスの再臨も摂理の一つだったのだと思いました。神の配慮が行き届くさまに毎日自分は接しているのに、「摂理」という歯車が働いていることを意識せず暮らしている時間がある。霊主肉従になっていない時である。自分の役割は何か?それをわかるのに、どれだけ回り道をしただろうか?やっとスタートラインに立ったところである。この回り道も摂理の働きの中の一つだと思い、分霊が宿っていることを意識しながら、役割を全うしたいと思う。
今日は先月に引き続き、「神観」について勉強しました。私のお粗末な脳みそでは、神の全容を理解することはできません。今日学んだ「神観」をしっかりと心に刻んで、日常生活を送る上での指針としたいと思います。神の“完全なる愛”によって与えられた、私たちの自由意思を、神を喜ばせることだけに使えますように、私たちの理性をあなたの愛で照らしてください。